休日オウチプロジェクト

古民家セルフリノベと映画を主に。その他日々のあれこれ。

一刻も早く観るべき映画「ファイトクラブ」

こんにちは、爪です。

ファイトクラブを観ました!色んな人からおすすめされて気になっていた映画です。

ところで、なぜ人におすすめされると勧められた瞬間は観たくなるのに、いざTSUTAYAに行くと別の映画借りちゃうんでしょうね・・・。この映画も勧められてから見るまでに3年近くかかりました・・・。

あらすじ

高級家具に囲まれ生活していたサラリーマンの"僕"だったが、精神的には満たされず不眠症に悩まされていた。ある日タイラーという青年と出会い、殴り合いの中で生きている実感を得られることに気付く。カリスマ性のあるタイラーをリーダーに、夜な夜なステゴロを楽しむファイトクラブが結成された。普段は冴えないメンバーも、このクラブでは生き生きと輝く。"僕"を含め多くの人間がクラブにのめり込んでいった。しかし、”僕”の知らないところでクラブは変貌していく・・・。

 

感想

めっちゃ面白かった!!!!!

観終わった直後は「凄い映画を観てしまった・・・」と呆然としかできませんでしたが、一晩経つと色々思い出して気が付いて、既に2回目観たいです。伏線貼りまくりの映画なのに一つのシーンの濃度が高すぎて全体の繋がりに思いを馳せる時間がないんですよね・・・!表面上はただの暴力的な映画ととらえることもできますがとんでもない。私もそうだったのですが、ただの殴り合い映画だと思って敬遠してた方、是非観てほしい。ほんと、とんでもない映画を観てしまった・・・・。

 

※ここから先思いっきりネタバレあります。

※斜線部は映画の描写。それ以外は私の感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オープニング

細胞の映像フラッシュの連続。

正直ちょっと酔いましたが、初っ端から挑戦的な映画だということが伺えました。映画を最後までみるとこのオープニングの意味も分かる気がします。細胞は生フラッシュは破壊(=ラストのビルの破壊時と同じ光?)を連想でき、まさにこの映画に相応しいオープニングでした。こんな風に、観終わってから分かる演出があるので、もう一度見たくなります。きっと気が付いてなのも沢山あるんだろうなあ。

 

”僕”とタイラーの人間性

様々な重病患者の会に参加しては、涙を流したり病人の告白を聞くことで不眠を解消していた主人公。

死を身近に感じることで生きる実感を得るなんて、その時点で変わってるけどなんとなくは分かるんだよなあ。

タイラーは肉体も精神もザ・強い男。普段の仕事は映写技師とウエイトレス。ファミリー映画に一瞬ポルノ映画のカットを入れることや、クリームポタージュの中に排泄物をまぜることを楽しんでいる。

こういうマニアックな趣味で人物紹介する映画や漫画って大好きです。アメリとかジョジョとか。(もしかしてアバッキオアバ茶ってタイラーからきてる?笑)

現実生きてる人って大多数は”普通の人”ですよね。普通の人って自分のやってることが良いことかどうか不安で、人の意見を聞き、多数派になれるよう舵を切ったり判断する。強い人は、自分のやることが良いことかどうか自分で判断できる。それが世間一般から見て間違っていることでも、自分の理念に従ったまで。これに憧れるんです。小さいころってみんな本能的にこうなんでしょうけど、学校でいじめにあったり見たり、SNSを見てきた結果、人と違うと淘汰されると気が付く。そんな中で強い人って自分を否定して変えることはせず、大人になって何かに秀でたり、芯を持って生きていける。その分大変なことは多いのだと思いますが。この映画でいくと主人公が普通の人で、強い人がタイラー。わたしは完全に普通の人なので、狂ってると思いながらもタイラーには憧れます。あの絶対的な強さ。主人公の憧れとして描かれたタイラーの狂人ぶりとかっこよさのバランスが絶妙でした。

 

生きていることの実感

この映画で印象的なのはやはり暴力シーン。例えばタイラーと"僕"が初めて殴り合うシーン。ファイトクラブのシーン。初めは暴力を振るう解放感と緊張感で生を実感していると思ったのですが、徐々に違うことに気が付きました。正しくは暴力の先。「自分への痛み」が生きていることの実感だったんですね。"僕"の手を焼くシーン。”僕”が金髪新入りを無感情でボコボコにするシーン。そしてドライブ中ハンドルを手放し自ら事故起こすシーン。これらを見るとそれがよくわかりました。ハードな暴力描写に引っ張られますが、暴力そのものではなくて、痛みが重要だった。

ちなみにドライブシーンって実際どうなってたんでしょう。部下っぽいふたりは主人公が一人で喋ってるの見てたのかな。アクセルは踏んでるはずだから、実際座っていたのはタイラー側なはずだけど。部下の一部は多重人格って気づいてたんだろうか。

 

多重人格に気付く

消えたタイラーを探す内、実はタイラーは自分の別人格だったことに気が付きます。

マーラとの絡みで違和感はあったものの、驚きました。そういうことか~~~~~!って。こういう仕掛けのある映画ってやっぱり面白い。脳みそがぎゅんぎゅんします。絶対もう一度観る。

 

ラストシーン

タイラーが銃を持っているということは自分が持っている、ということに気が付く主人公。銃を自分の口にぶっ放すことでタイラーは消えた。主人公は傷を心配するマーラに「これからはすべてうまくいく」と言って、ふたり手をつなぎビルの崩壊を眺めるのだった。

タイラー・主人公どちらの口からも煙がでていたこと。自分を撃った後でも穏やかで冷静な主人公。このふたつの描写からタイラーと主人公が一人の人格に成ったと感じました。これまでで一番の痛みと覚悟を以って強い生を実感し、別人格だったタイラーを自分の中に感じることができたのが一つの人格に成った理由だと思います。

分からないこともあります。ラストの「これからはすべてうまくいく」という発言はどんな意味だったのでしょうか?これまでにない主人公の穏やかで生気に満ちた目に惹きつけられました。これまでの鬱憤が全部昇華された感じ。

そして止められなかった爆破を目の当たりにしてるはずなのに、あの爽やかな気分はなんなのでしょう。鬱々とした日々を送っていた主人公とマーラがまさに生きていることを観ている側も実感できたラストでした。

 

エンディング

オープニングといいエンディングといい、かっこよすぎやしないでしょうか?特にエンディングなんてシンプルなのに・・・。オープニング、本編、エンディング全てが繋がってファイトクラブという映画が完成します。

 

最後に

生きているという実感。これがどういう意味を持つのか私にはまだ分かりませんが、だらだらと生きていく日々に疑問を投げかけるには十分すぎる映画です。これは人生の早い段階で観るべき!!!!

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

それでは!